福岡高等裁判所 昭和34年(う)33号 判決 1959年9月14日
主文
原判決を破棄する。
被告人は無罪。
理由
主任弁護人諌山博の陳述した控訴の趣意は、同弁護人及び弁護人谷川宮太郎提出の各控訴趣意書に記載のとおりであるから、これを引用する。
諌山弁護人の控訴趣意第一点及び谷川弁護人の同趣意(いずれも事実誤認の主張)について。
よつて記録を調査し原判決を検討するに、原判決は、その挙示する証拠を綜合すると、先ず、(一)被告人はかねて福岡市堅粕八百三十番地に木造亜鉛メツキ鋼葺平家建家屋一棟建坪約三十坪及び木造瓦葺二階建家屋一棟建坪延約四十坪を情婦平山キミヨ名義をもつて所有し右建物に居住して菓子果物商を営んでいたこと、(二)昭和三十一年一月二十八日午前五時頃右木造瓦葺二階建家屋の二階南西四畳半間附近より出火し、被告人及び右平山キミヨ並びに間借人吉田春雄等の現に、住居に使用していた右家屋二棟及びこれに隣接せる豊福安等の住家九棟を焼燬したこと、(三)右火災の発火部位は右木造瓦葺二階建家屋の二階南西部四畳半間の南西側ベニヤ板壁の上部の天井に接する附近で(右ベニヤ板壁の壁隣り豊福安方から出火したものとは認められない。)あるが、発火の原因は同所附近には電気の配線やガスの配管もなかつたので漏電やガスの引火とは考えられず、その他自然発火とも失火とも認め難く、放火以外に出火の原因は考えられないこと、(四)しかし外部の者が同家屋内に侵入して放火したものとは全く認められないこと、(五)当時右被告人方に居合わせたのは被告人一家及び間借人吉田春雄一家の者だけであるが、吉田一家の者により放火されたと認むべき何等の根拠なく又平山キミヨや被告人の子供等において放火したものとは認め難いこと、(六)当時被告人は右建物の購入並びに改造の際他から借り入れた借財の残額がなお少くとも九十万円余(原判決は百万円余といい、これに添う証拠もあるが)を抱えこれにつき督促を受けてその支払のため種々苦慮していたが思うに任せず、他方商売の方も必ずしも順調でなく商品仕入先に対する仕入代金の支払も滞り勝であつたこと、(七)なお被告人は当時平山キミヨ名義をもつて日動火災海上保険株式会社との間に右二棟の家屋及び家具什器、商品等を目的として総額三百万円の火災保険契約を締結しており、右は超過保険と思われること等が認められるので、これ等の情況事実を基盤とし、その上被告人の司法警察員に対する昭和三十一年五月十四日附供述調書、検察官に対する同日附供述調書及び司法警察員に対する被告人の供述を録音した録音テープにおいて、被告人が自ら放火したものであることを認めてその動機ないし犯行の手段方法等につき略原判示どおり自供しており、且つ右自供は先ず録音テープにつきこれを再生して聞くに、その取調に強制拷問その他何等かの無理が加えられたと認むべき節は全くなく、被告人も落付をもつてよく考えながら答えていることが十分窺われるので、その任意性につき欠くるところありとは思われず、又この取調状況から推すと、同じ取調官によつて作成された司法警察員に対する右供述調査においても右と略同様の取調があつたものと推測されるし、検察官に対する前記供述調書においてはその内容自体に徴して何等不当な取調があつたものとは思われないので、各供述とも任意になされたものであると思われるところから、即ち原判決は前叙各情況事実にこれ等被告人の自供を併せ考えて原判示事実を肯認するにいたつたものと思われる。而して原審の右措置は一応は相当であると思われるが、所論は被告人の右自供内容につきその信憑力を争うので、進んでこの点につき検討を加えることとする。
先ず被告人の司法警察員に対する昭和三十一年五月十四日供述調書においては被告人は「昭和三十一年一月二十八日午前一時頃に二階四畳半間の寝室に上り妻の床に入つて間もなく一回性交して階下の便所に下りたが通り路の上の子三人が寝ていた店に続く階下六畳間には四十ワツト位の電灯がついており、次の三畳間の戸棚の前(水屋)の上の段と下段との中間にある幅約四寸位の棚の上に、後で本件放火に使つたローソクを見付けた、そのローソクは白色の径五分位のもので新しいものの半分位の長さの使用残りであつた便所から帰つて寝たのが午前一時二十分頃だつた、床に入つたが借金の返済のことや火をつけることやらを考えると一寸位眠つたかも判らないが、余り真から眠れず、午前四時二十分頃と思う又便所に行きたくなつた、前と同じように階下へ下り便所に入つて小便をする中いよいよ今から家に火をつけようと決心した、それで最初便所に下りた折、目についた三畳間の水屋前のローソクを思い出して先ずそれを取りに行き、かまどの処から小箱のマツチをとり、店側の階段を上つて行くには廊下その他に戸が沢山あつて音のする心配もあるので裏側のいつもパンパン等が上る階段を上つて火をつけた裏路地側の豊福方との境の四畳半間に行つた、火をつけた場所を考えたのはそこが天井が低くてつけ易い箇所だつたからである。その部屋には電気はついてなく真暗であつたが、私は持つていつたローソクとマツチでどうしたら燃えつくかと思案した揚句、豊福方に打ちつけてあるベニヤ板壁の中間位のところを手でひつぱつて起し、幅五寸位折り曲げたらバリツと割れて離れはしないが下つて丁度棚を作つた恰好になつたので、先ず持つていたマツチ二本位使つてローソクに火をつけ、ベニヤ板を折り曲げた棚の状態の上にローソクのしずくを落して立て、その場に約二、三分立つていたが、ローソクの焔と天井とは殆んど接近していて私がそこにいる間にも多少天井が燃え始める位の状況にあつた、そのまま帰つて床に入り十分も経つた頃から外でアラレの降るようなパチパチ音がしだしたが黙つて狸寝入りでじつとしていたところ、次第に音が大きくなり、三、四十分床に入つていたと思うがパチパチバリバリ物淒い音になつた時眠つていた妻が気付いて私を起したので、その時眠つていた風を装つて起きたわけである、」旨供述しており、次に検察官に対する同日附第一回供述調書によると、被告人は或いは自分が放火したといい或いは放火したことはないといい結局放火したのではなく発火の原因は知らない旨供述しているが、自ら放火したと述べた際その方法として一応自供しているところは、「豊福さんの近くの壁は土は塗つてなく内側にベニヤ板をはり外側には板が張つてあり天井もベニヤ板であるが、そのベニヤ板壁を拳で突き破つて上の方に隙間ができた所を折り曲げてローソクをつけた」というのであり(この放火方法も直ちに否定している。)、更に、司法警察員に対する被告人の供述を録音した録音テープは同月十五日の取調にかかるもので、被告人は、「当夜は一時一寸過頃二階四畳半間の寝室に寝み一回夫婦関係をしてすぐ便所に行き本当に寝んだのは一時二十分頃であるが、負債のことなど考え、どうして返済しようかと考えよく眠つていない、三時半か四時頃になり又便所に行きたくなり階下におりた階下六畳の子供の寝ている部屋には四十ワツト位の電気がついていた、用便をすました、前に用便に下りた時三畳間の戸棚の前にあつた白色の親指位の大きさの新しいものの半分位のローソクを見付けておいた、そのローソクを取りかまどの前の小箱マツチを持つて裏のパンパン等の上る裏路地から入つたところにある階段から二階に上つた、そこから上つた方が便所から行くのに近いので上つた、そして階段を上つてすぐ右の路地側四畳半の部屋に入つた、そこは電気がついておらず真暗であつた、尤も全然真暗ではなく一寸は明るかつた、そこには布団が敷き放しにしてあつた、そしてしばらく何か考えていたように思うが、それから豊福方の方のベニヤ板壁を一寸しばらくかかつて引き破つた、ベニヤ板壁は叩き破つた、パリパリ言う音がした、豊福方の方に聞えるような音がしていた、それから部分的に押して外の方に指の入る位すき間ができたのでこれを辿つて行き幅五寸位前の方に倒した、その位置は壁の真中へんだつたと思う、前に倒して、棚見たいな風になつたのにローソクにマツチをつけて立てた、ローソクは三寸位あつたので火の先と天井とは殆んど引つつく位であつた、ベニヤ板壁を破つたのは大体一尺位あつたが、上の方は天井に接近していた、ローソクを立てた位置は壁から四、五寸位離れたところで、ローソクの火は天井の壁から二寸位離れたところに行つていたと思う、それから二、三分見ていたら天井がパリパリ少し焦げて行きこれなら燃えようと思つて元来来た方の裏階段を通つて寝室に帰つた、火をつけた二階に行くときはゴムのスリツパ見たいな草履をはき足音をしのばせて行つた、心配でよく眠れず仮眠の状態でいると三十分位してパチパチという音が寝室まで聞えて来た、その後寝たふりをしていたら家内が気付きびつくりしたようで私を起した、放火しようという考を起したのは当日(二十七日)の夕方頃からと思う、それでローソクが目についたと思う、特にその日を選んだ理由はない、魔がさしたと思う、」旨供述しているのである。
以上の各供述を審及び当審で取り調べた爾余の証拠と対比検討して見るに、(1)被告人のいう放火の方法は要するに、ベニヤ板壁を手で叩き破つて引き裂き幅五寸位、長さ一尺位にわたつて折り曲げて棚状とし、これに火を点けたローソクを立てて天井板に燃え移るように仕掛けたとのことであるが、二羽光二の検察官に対する供述調書、司法警察員に対する同月十七日附供述調書、同人の原審第十五回公判及び当審における各証言並びに当審証人中西米男の供述によると、右ベニヤ板壁は同人等が昭和二十九年九月中旬頃請負い工事したもので、材料はラワン材の一等品で厚さ一分ないし一分五厘あり、これを天井まで隙間なく張り付けて胴縁に釘付けし、継目にはエンポストを打ち付け天井との接触部分には周り木を施してあつて通常これを手で剥がすことは不可能であるということである。同人等は直接右工事を請負い実際にその工事をした者であるので、該ベニヤ板壁を手で剥がすことは不可能であるとの同人等の供述には多少の誇張があるものと考えても、又本件火災発生当時までには右工事後既に一年四月余を経過していたことになるので、それだけ古くなり元のままではあり得ないとしても、果して被告人の述べる如き方法で該ベニヤ板壁を容易に手で叩き破り且つ引き裂くことが出来るであろうか。既に本件火災により該板壁は焼失してなく実物につき鑑定を求めることも出来ないので、その何れとも明確には決し難いところであるが、相当無理ではないかと思われる。(2)これを可能であるとしても、被告人の言に従えば、被告人は該ベニヤ板壁を叩き破つて引き裂き折り曲げて棚状とした上に、壁から五寸位のところに長さ三寸位のローソクを立て、その焔の先が天井から二寸位離れていた、ということであるので、被告人の引き裂いたベニヤ板壁は天井との接触点からであり、被告人は同所に手指を入れてたどりこれを引き破つたことになるのであるが、右部屋の天井の高さは、前記二羽光二の各供述、被告人の検察官に対する同月二十八日附供述調書及び司法警察員の同月二十一日附実況見分調書によると、必ずしも明確に一致しているわけではないが、いくら低くても七尺五寸以上八尺位はあつたと思われる。しかるに当審における検証の結果によると被告人の身長は五尺四寸六分五厘(一六五、六糎)、爪立して右手を出来るだけ高くさし伸ばしてもその指先の高さは七尺一寸一分五厘(二一五、六糎)に過ぎない。この被告人が七尺五寸ないし八尺位のベニヤ板壁の上端に手指をかけるには踏台を使用しない限り不可能と思われる。しかし被告人が踏台を使用した証跡は全くなく、又被告人において使用可能な踏台もしくは踏台代りとなり得べきものが該四畳半間ないしはその附近に存在したと見られる証拠もない。もし又被告人が踏台等使用せず、極力背伸しながらでも達し得べき最高度において該ベニヤ板壁を叩き破りこれを引き裂いて折り曲げもつて棚状とし、これに長さ三寸位のローソクを立てたとして、その焔の先が前記の高さの天井から二寸位の距離に達せしめることは不可能に近いと思われる。(3)又被告人は該ベニヤ板壁を叩き破る際には相当音を発し隣家の豊福方に聞える程であつたと供述しているのであるが、被告人は便所から本件放火をしたという二階四畳半間に上る際には店側の階段から行けば廊下その他に戸が沢山あつて音のする心配があつたので裏階段から上つたといつており、又ゴムのスリツパ見たいな草履をはき足音をしのばせたとも述べていて他の場所では物音を発しないように気を使い乍ら、該ベニヤ板壁を叩き破つた際だけ相当の物音を立てているのは供述に一貫性を欠き唐突に見える。尤も戸の音をさけ、足音をしのばせたというのは平山キミヨ及び吉田春雄一家の者に気付かれまいとの配慮によるもので、該ベニヤ板壁を叩き破る音は同人等の寝所に可なり遠くさしつかえなかつたものとするも、原審第三回公判における証人豊福安の供述によると右ベニヤ板壁の裏側は更にベニヤ板の壁一枚をへだてて豊福方であり同人方の者に聞えぬとも限らないので、被告人としてはこの点についての配慮があつてもよかつたと思われる。而して同じく原審第三回公判における証人豊福宏治及び同豊福徳子の各供述によると、同人等は当夜右ベニヤ板壁のすぐ裏側の二階に就寝しておつたことが明らかであるので、被告人のいうような物音を発しておればこれに気付く可能性が十分あつたと思われるのに、これに気付いた様子が全く窺われないのである。果してそうだとするとベニヤ板壁を相当の物音を立てて叩き破つたという被告人の供述にも多少の疑が持たれる。(4)被告人は本件火災前日の二十七日夕方頃からふと放火をしようという気になつたというのであるが、これにつき決行の日時やその具体的実行方法等を考えた形跡が少しも窺えない。単に当日(二十八日)午前一時二十分前頃二階寝室から便所に下りた際通りかかりに階下三畳間の水屋の上の棚のようになつている所に置いてあつたローソクが目についたことだけのようである。又いよいよ放火の決意をしたのは二度目に便所におり小便中であつたといい、それからローソクと小箱マツチを取つて二階南西御四畳半間の放火をしたという現場にいたつて、どうしたらローソクとマツチで火がつくかとしばらく考えたと述べており、唐突に放火の決意をし、その具体的実行方法に関して思い付いたのがローソクとマツチを使用することだけだつたことになり、保険金目当に自己の住家を焼毀しようというような重大犯罪を敢行せんとするには余りに無計画すぎるように思われる。(5)なお、被告人は放火の場所として右四畳半間を選んだ理由として天井が低くて火がつけ易かつた旨述べているが、二羽光二の検察官に対する供述調書によると同部屋は以前隣家との境に接して階段があつたのでその部分の道路側の桁が五寸位低かつたかも知れないということであるが、右桁の部分以外の天井が他より低かつたとする証拠もなく、殊に被告人の放火部位として自供するところは、豊福方側壁の中間位であつたというのであるから、この部分が特に低かつたというのであれば格別何等左様な証跡が窺えないので、天井が低かつたのでその部屋を選んだとする理由にも疑問がある。(6)又被告人は二度目に用便に下りてから放火した二階四畳半間に行くのに裏階段を選んだ理由として最初は店側の階段から行くには廊下その他に戸が沢山あつて音のする心配があつたといい、後(録音テープ)では便所から行くのに近かつたからであると述べているが、僅か一日後に左様に供述が変つた理由が明らかでない。更には右各自供のなされた理由等につき検討するに、(7)被告人は前記各供述調書の外司法警察員によつて昭和三十一年五月七日から同月十三日(前記最初の自供述調書の作成された前日)までの間に七回にわたり供述調書をとられており、更に検察官により同月二十七日及び二十八日の両日にわたり取調を受けて夫々供述調書を作成されているのであるが、右いずれの場合も頑張に身に覚えがない旨犯行を否認しているのである。しかるに前記のとおり同月十四日及び十五日には自己が放火した旨自供するにいたつているが、被告人がかく犯行を自供するにいたつた動機は前記被告人の検察官に対する同月十四日附供述調書によると、「家内まで留置されて取調を受け、小さい子供がどうしているかと思うととてもたまらなかつたのです」、「私の家から火が出たのでありまして電気でもなく失火とも考えられず、私の家の借金があることや、又火災保険に入つていることから疑を受け、警察の方からも私が一番よく知つておる筈だといわれ、私がつけたと言わなければ解決しないから、そのように言つたのです」、「家内が留置されて調べられており、子供も放火するような人の子は預つてくれないということを聞いて苦しかつたからです」、ということであり、更に同月二十七日附検察官調書においては「家内が留置されていることや子供のことを考え、又警察の方からどうしても私が知らない筈はない、知らんと言うても通らないと言うて強く取調べられ、私は暴行を受けるよりも尚以上の苦しい思いをし、どうなつてもかまわないという気持になり、自分がかぶる気になつて出鱈目の自白をした」旨供述しており、以上は被告人の司法警察員に対する同月十四日附の前記供述調書第一項に「本日色々情理をついてのお話を聞かされて今けで火事の原因は判らん知らんと言い通しておりましたが、妻子のことも考えてそれでは凡てが火事の状況から原因が判らん知らんでは通らんので決心して悪かつたと悟りました、それで実は私があの火事は付火をしたのが本当でありますので一応只今から付火する前後の事なり、付火をした方法等についてあらましを申します」との供述とも一脈相通ずるものがあり、更に原審第十一回公判調書中証人平山キミヨの供述及び同第十回公判調書中証人坂元立夫の供述によると平山キミヨは被告人と同日(五月七日)に被告人にやや後れて別に逮捕され且つ被告人とは別に博多警察署に留置されて取調は東福岡警察署において受けていた事実が窺われ、被告人と平山キミヨ間に二男二女があることは被告人の司法警察員に対する同月七日附供述調書によつて明らかであり、又被告人及び平山キミヨに対し類焼した近隣の目が放火の嫌疑をかけていた事情も証拠上窺知できるので、被告人の右各供述はあながち犯行を否認せんがための作りごとや単なる弁解にすぎないものとは思われない。そうだとすると、前掲各自供は、右にいうような心情の下になされたものとして評価しなければならぬことにもなるわけである。
さて叙上種々検討の結果を綜合して考えると、被告人の前記自白調書及び録音テープはその真実性及び信憑力において多分に疑がわしいものがあり、被告人が殊更なした短偽の自白ではないかとの疑をさしはさむ余地があると思われる。従つてこれ等証拠はいずれもその証明力甚だ薄く、本件事実認定の資料とはなし得ないものと考える。
果してそうだとすると、前記各自白調書及び録音テープを用いず、結局被告人の自白がないものとして本件公訴事実につきその証明の有無を考究しなければならないことになるのであるが、冒頭において認定した各情況事実だけでは被告人に対し強い嫌疑がかけられるところではあるけれども、放火の具体的な手段方法等につき知ることができないので、も早他にこれを立証すべき証拠方法も発見困難であると思われる本件において、未だ十分な有罪の心証を形成するに至らざるものとして犯罪の証明がないとなすべきこと、刑事裁判の本質に照しやむを得ないところであると考える。結局原判決には事実の誤認があることに帰し、その誤認が判決に影響を及ぼすこと明らかであるというべきであるので、論旨は理由がある。
よつて他の控訴趣意についての判断を省略し、刑事訴訟法第三百九十七条第一項により原判決を破棄し、同法第四百条但書に基ずき当裁判所において直ちに判決する。
本件公訴事実は起訴状記載のとおり(原判示事実もこれと略同一)であるから、これを引用する。これに対する当裁判所の判断は上来説示のとおりであつて、右公訴事実については犯罪の証明が十分でないので、刑事訴訟法第四百四条、第三百三十六条により被告人に対し無罪の言渡をすることとする。
よつて主文のとおり判決する。
検察官 波多宗高出席
(裁判長裁判官 青木亮忠 裁判官 木下春雄 内田八朔)